男体山登拝講社大祭
勝道上人が日光を開いて以来、神仏習合神仏習合とは、土着の信仰と仏教信仰を折衷して、一つの信仰体系として再構成(習合)すること。の時代が続き、高い山には神仏が宿るといった山岳信仰山岳信仰とは、山を神聖視し崇拝の対象とする信仰。山岳地に霊的な力があると信じ、自らの生活を律するために山の持つ圧倒感を利用する形態が見出される。の聖地・浄土として、多くの山岳修験者により日光が紹介されていったと推測できる。
ゆえに、男体山は父神(信仰の中心)、大己貴命(おおなむちのみこと)すなわち大国様であり、千手観音でもある。同じように、女峰山は母神で、田心姫命(たごりひめのみこと)であり阿弥陀如来でもある。さらに、太郎山は子神で、味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)であり、馬頭観音でもある。
このように、家族形成をもった山は、山岳信仰と神道・仏教の考え方が違和感なく同居(神仏習合)していたのである。現代人には一見、複雑なように思えるが、日光の歴史を深く知るうえで欠かす事のできない知識である。
こうした神仏習合のあり方は、1868(明治元)年の神仏分離令を境に改められ、日光も1871(明治4)年に神仏分離神仏分離とは、神仏習合の慣習を禁止し、神道と仏教、神と仏、神社と寺院とをはっきり区別させること。が行われ、一時は数多くの寺が併合されるなどしたが、神仏分離令による日光の苦難を落合源七と巴快寛が東北巡幸途上の明治天皇に直訴し、現在の世界遺産日光の社寺は元の姿に復元することが出来た史実がある。
太郎山(2,368m) |
男体山(2,486m) |
女峰山(2,483m) |
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味耜高彦根命 | 大己貴命(大国主命) | 田心姫命 | |
馬頭観音 | 千手観音 | 阿弥陀如来 | |
毘沙門天 | 大国天 | 弁財天 | |
本宮神社 |
二荒山神社 |
滝尾神社 |
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本宮神社 本殿背面
山岳信仰の場合、本殿の背にご神体の山があることが一般的で、社の背には扉がある。本宮神社の場合、背にする山は外山である。毘沙門天が祀られていることから、太郎山にみたてたものと推測できる。
三社権現すなわち山を仏様のお姿として祀られているのは、日光山輪王寺三仏堂。中央が阿弥陀如来、右側が千手観音、左側が馬頭観音の配置になっている。お寺で如来(母神)が中央で祀られているのは分かる気がする。二荒山神社においては父神が中央。
家族形態をなす日光山岳信仰だけに「お母さんが家の中を切り盛りした方がうまく行く。カナイ安全安全と言うだろう・・・(笑)」と解説する案内人もいる。